七小アーカイブ file28 更新7/1

ページ番号2003313  更新日 2021年7月1日

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校舎の増築 ~一枚の写真から得た疑問を突き詰める~

体育館わきの校舎(現在の家庭科室や図書室のある場所)は、開校当時はありませんでした。増築の工事が始まったのは昭和53年2月17日。工事は9月1日に完了しています。工事完成の翌年、昭和54年の4月に第三小学校からけやき学級が新校舎の1階に移され、2階には家庭科室、3階には図書室が新設されました。

新しく校舎を作れば、中にある特別教室の場所が変わっていきます。図書室と家庭科室を新しく作ったとすれば、それ以前はこれら二つは別の場所にあったはずです。では、どの場所がどんなことに使われていたのか。一枚の写真からはこんな疑問も生まれてきます。

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写真から教室配置を推測する

校舎増築前、どの教室を何年生が使っていたのか、特別教室はどこにあったのか。これらのことを調べていく手掛かりが、当時の写真の中にあります。昭和53年以前に行われた「勤労感謝の集い」の写真(アーカイブfile23の写真と同一)をよく見ると、校舎の窓に教室の名前が貼ってあるのがわかります。卒業式の写真も拡大すると教室表示が読み取れます。

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左側のマークの拡大 2年1組です。

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図工室。「工」という字が特殊です。

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同じような方法で右の写真を読み取ってみました。一部を拡大すると、(1)の場所が「児童会室」、(2)の場所に「家庭科室」という表示があることがわかりました。はっきり読み取れます。


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最後は推測です。写真のマークの場所は拡大しても「文字が3つ書いてあること」しかわかりませんでした。理科室と音楽室は現在と同じ場所とわかっているため、2階の中ほどにあったのは図書室だったのではないか。様々な情報をつなげて考えると、このような推測ができます。


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さらに、増築工事を写した写真からは別の疑問も生まれます。それは校舎そのものの汚れ。昭和53年ということは、開校してからわずか8年。その短い期間に、これほど校舎が汚れた原因は何だったのか。

写真からは様々なことが読み取れたり疑問がわいたりします。

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